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先日のThursday Evening Clubでは、中央監査法人の廣瀬先生より、米国におけるコンプライアンスリスク顕在化の具体的事例について、大変生々しいお話をお聞きすることができました。ご紹介頂いたケースは二つ。一つは某証券会社の著名な巨額損失、もう一つは某自動車会社の米国工場におけるセクシャルハラスメント訴訟で、いずれも1億ドル以上の経済的損失につながりました。
さて、「セクシャルハラスメント」の概念は「セクハラ」という愛称?ですっかり日本に定着した観がありますが、その使われ方は大きな問題を孕んでいるように思えます。
日本における「セクハラ」は、マスコミが興味本位で軽々しく取り上げてきた影響か、(1)強制猥褻等、明確な刑事・民事責任が発生する場合(たとえば、前大阪府知事の卑劣な所業) (2)必ずしも(1)に該当しないが、組織における上下関係等、当事者の"power"の差を背景とした深刻な人権侵害が生じており、法的な保護を必要とする場合 (3)日常的なコミュニケーションの一環としての言動であり、フェミニズム的な観点からは非難に値するが法的救済を与えるには値しない場合(女性の容姿や服装を性的なニュアンスなしにほめる場合等)をすべて包含する極めてあいまいな概念になってしまっています。
その結果、「セクハラ」という言葉は、最も重要である(2)の意味での「セクシャルハラスメント」の被害者に対する保護の機能を十分に果たしていないように思えるだけでなく、「セクハラおやぢ」「セクハラ大王」といったようにふざけ半分に使われたり、歌舞伎町火災で一躍有名になった「セクハラクリニック」や、「痛快!セクハラ通り」(実在します!!)等のように風俗業界において乱用されるなど、かえって女性の地位を低める使われ方をされているように感じるのは私だけでしょうか。
ちなみに、日本には「セクハラ」の歴史は意外に古く、1989年(平成元年)に某出版社の「流行語大賞」を『受賞』したことが普及のきっかけと言われています。しかし、そのような「流行語」として台頭した背景には、駅のホームで酒に酔った男性にからまれた女性が、その男性を線路に突き落とし、その男性が列車に轢かれ死亡したという痛ましい事件がありました。「西船橋事件」として有名になったこの事件では、女性弁護士および誰もが知っている某フェミニスト等が、男性の行為を「セクハラ」として弾劾した甲斐あって、被告の女性は「正当防衛」で無罪になりました。確かに、死亡した男性の行為は決して許されるものではありませんが、命を失うに値したかは疑問の余地が残ります。男性は凶器等を持っていたわけではない上に、女性は「あんたなんか死んでしまえばいい」といって男性を突き落としており、いわゆる「過剰防衛」にあたったのではないか、という批判もあります。いずれにせよ、本来の意味でのセクシャルハラスメントとは状況を異にする特異な事件であり、落ち度があったとはいえ惨たらしい死を迎えた男性の家族に対する何らの心遣いもなく同事件の論点をすり変えてしまった人々の狡猾さや、そのようにして注目を浴びた言葉を「流行語」として取り上げたマスコミの無神経さには強い憤りを感じます。
最近では、「ドクハラ」(ドクター・ハラスメント)、「アカハラ」(アカデミック・ハラスメント)、「パワハラ」(パワー・ハラスメント)といった怪しげな言葉が台頭してきています。もちろんいずれも日本人が「セクハラ」にならって勝手に作った造語であり、アメリカ版のYahoo!やGoogleを検索しても全くひっかかりません。これらの言葉も、「セクハラ」同様に明確な犯罪行為(傷害・強姦等)から法的な救済に値しない言動(目を見て話さない、目の前にいるのに電子メールを送ってくる等)までを包含する極めて粗雑な使われ方をしており、決して真に苦しんでいる被害者を救済する力を持つことはないでしょう。
最近某政府系研究機関が、「インフォームドコンセント」→「納得診療」、「ノーマライゼーション」→「等生化」等々、横文字を無理やり日本語化しようと試みていますが、このように本来の意味から逸脱した使われ方をしている横文字言葉こそ問題視すべきではないでしょうか。